映画〖SPEC 劇場版~結~〗漸ノ篇・爻ノ篇 ドラマのファンに評価されなかった2つの失点

劇場版 SPEC 〜結〜
公開日:2012年 4月
出演者:戸田恵梨香 加瀬亮 竜雷太 向井理 大島優子

 

最近セカイ系 という言葉を目にしたことがあった。
たぶん新海誠監督の君の名は だったと思う。新作天気の子の感想を見にいった時も、このワードを出して語っている人がいたと思う。

セカイ系というのは厳密な定義があるわけではないらしいが、物語の中に「世界の危機だとかこの世の終わり」を展開させる作品を言うそうだ。
セカイといっても必ずしもそれが地球の国々という意味での全世界を指すのではなく、ボクの住む地域だとかヒロインとの小さな関係性だったりする。

君の名は が正にそういう作品で、前半は高校生が男女の中身が入れ替わりつつも現実の中で普通の生活を送っていく。そして後半から突如、主人公たちが町の消滅の危機を救うという話へと展開していく。

SPECも同じで、テレビドラマ版ではSPECという特殊能力はありながらも当麻と瀬文は刑事として事件を追い捜査をして犯人を追いつめていく。それが劇場版になると突然に地球の滅亡(再生)を目論む神のような存在と戦うことになる。
キーワードにもファティマ第3の予言 とかソロモンの鍵 とかガイア だとか左手に火の剣を持った天使 だとか、いかにもなワードを並べ立てていく。敵役の名前もずばりカタカナでセカイ(向井理)なのだからSPECは劇場版でセカイ系へと移行させた、と言っていいんだろう。

このドラマ版からの世界観の変化を1話から見ていた人たちは受け入れられたのか、それによってまずこの映画をどう評価するかは大きく変わると思う。
おそらく多くの人が「えーっ、刑事ものだと思って見てたのに何じゃ?この壮大過ぎるストーリーは…」と思ったに違いない。ぼくもそうです…。

相棒だって劇場版で急に右京さんが地球の滅亡を阻止するために推理をひとつも働かせずに隠された左手の特殊能力だけで戦ったら相棒ファンのおじちゃんたちもそりゃびっくりするだろう。

これは刑事ものとしてスタートしたテレビドラマ版ファンや頭脳戦を期待していた人たちにはキツイが、この映画の公開時点(2014)でセカイ系を意識して作った堤さんの着眼点はさすがなのかもしれない。
ドラマの続編としてではなくRPGのシナリオあたりとしてなら面白かっただろうなとは思う。

 

SPEC劇場版のもう1つの失点は映画化したこと。
と言ってしまえばみもふたもないが、そもそもとしてテレビドラマで十分なていどの作品をわざわざ映画で作るんじゃないよ、という考えを持ってる。
堤幸彦さんは特にそう思えることがあって、映画には不向きなんじゃないかと思う。

堤作品は小ネタと呼べるようなギャグとか小さなボケをふんだんに使ってくる。そのくだらなさはたぶんテレビなら許されるものだ。
テレビなんてすきまのような時間に見るようなもので元々時間をむだにしているかのようなものだから、くだらないものを見せられてもそんなに時間を損した気分にはさせられない。
だが映画は違う。
お金を払って劇場まで足を運びおもしろいものをわざわざ見せにもらいに行っている。その中でくだらないギャグを見せられると(映画にしてまで何やってんのっ!)と思ってしまうわけだ。

それに作り手も映画(有料)なら大きな仕掛けにしよう、大スクリーンだからCGいっぱい使おう、音響がすごいから演出も派手にしちゃおう。みたいになって作り手のエゴが出てしまう。それが回想シーンの連続で感動の押し売りになったり、CGを使ったシーンが無駄に長く話のテンポが悪かったりする。
結果的にストーリーは壮大にしました!演出はド派手にしました!小ネタのギャグもいっぱい入れました!で、見る側が重心をどこに置いたらいいのか分からない作品が出来上がってしまう仕組みだ。

たとえばだけど、里子(栗山千明)のセリフ。最初に日本語がおかしい設定にしてしまったのでしょうがないが、終盤の大詰めにきてあなた あなご を言い間違えられると見てる側は感傷的にもなれないし笑えもしない。この設定に足を引っ張られるかたちになってしまう。

こういうのは作り手がわざわざ言わせているように感じるので、本当は日本語が堪能な外国人タレントがわざとおもしろく日本語を間違ってみせるようなつまらなさがある。それが登場人物の素のすがたではなく作り手の意図として見えてしまったらもうだめだ。

 

実際のところスペシャルドラマの翔と零も見たがこれはおもしろいと感じられた。
スケバン刑事のネタがくどいが殺人を犯すための心理トリックがちゃんとあったし当麻はそれを推理し見破った。刑事として事件をちゃんと追っていたし、死者となったSPEC HOLDERを召喚する左手もそこまで禍々しいものではなかった。ニノマエの無邪気な怖さもあったし(爻ノ篇ではただの雑魚キャラだった)殺人現場に置いた印が麻雀パイだったのもちょっと笑えた。

特に零は~天~を見たあとだったので、そうそうこういうのが見たかったんだよとひと安心したものだ。

同じ2時間でもテレビドラマなら大丈夫なのに映画となるとドラマとは制作のメソッドが違ってくるのか作り手の意識が変わっちゃうのか、どうも劇場版てのはうまくハマらない。

 

このSPECは劇場版のおかげで作品として微妙な立ち位置になってしまう。
ドラマ版はおもしろいよ!と勧めてもその後には劇場版という駄作が待っているし、あの最終回の終わり方(+翔のラスト)では続編を見ずにはいられないだろう。
天で失望して打ち止めにするか結までいってしまうか、おそらくドラマ版が好きだったら最後までいってしまうだろう…。
なので例えば友人におもしろいドラマだよ!と勧めにくいし、これは傑作ドラマだ!とも言いにくい…。

スペシャルドラマの翔と零できれいに終わっていたら間違いなく傑作ドラマだったろうに。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です