映画 |『天気の子』について、ほんとに帆高たちが世界を変えてしまったのか?自分なりの考察

新海監督が天気の子で描きたかったテーマを自分なりに考えてみると…

※この記事にはネタバレがあります。
映画を見てない方は注意して読んで!

 

 

 

まずは新海誠監督がパンフレットの中で語っていた天気の子のテーマについての言葉を引用。

調和を取り戻せない世界で
新しい何かを生み出す物語を描きたい

主人公である少年が「天気なんて、狂ったままでいいんだ!」
と叫ぶ話だったんです。

ということを語っております。

それと同時に“オーソドックスな物語の定型から外れる話”を作りたかった、とも話しているわけですね。つまり…
世界が狂う→元凶となる悪を倒す→世界が調和を取り戻す
というお話にはしたくなかった、ということ。

しかし現実世界では、すくなくとも短期的には調和は戻ってきそうもないわけです。…そんな中にあって、一件落着して“元に戻って良かったね”で終わる話は今さら難しいのではないかと考えました。

実際に天気の子には明確な悪意を持った人間というのは出てきていない。
かと言って、みんなが正義とか大義といった信条に従って行動してるかといえば、そんな大層なものでもない。
ラスト近くでも帆高は刑事たちや須賀圭介と対立はするがあくまで家出した少年を保護し元のお家へお帰り、という大人としての常識的な行動だ。

ストーリーの結末として東京はそれから雨が3年も降り続くという、いわば狂った世界のような異常気象になるわけだ。
このような誰かの決断や行動がすこしずつ世界を狂わせていくというのは、実は現実世界でもいくつも起こっていることだと思われる。

では、狂った世界にされたのは狂った人間がしたことか?
と言うと、そうではない!
普通の人々の何気ない行動、それに世の中を良くしよう、とそう思う人たちの行動が世界を狂わせてしまっている。

経済を発展させようと工場をたくさん立てていった結果ひどい環境汚染を招いてしまった。
便利な電気製品を開発し、人々はより電気に頼って生きていくようになるとより電力を供給できるよう、あちこちに原子力発電所が作られていった。
詰め込み教育はかわいそうだとカリキュラムを大幅に減らし時間に余裕のある学習計画に変更したが、それが子供たちの学力低下を招き、カリキュラムを導入した世代からゆとり
と揶揄されるようになる。

などなど、正しい行いをしようとした結果が世界をおかしく
してしまっていて、まさに“短期的に調和を取り戻すことは
難しい”と言えるものばかりだ。

 

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